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若者マクロン、脇から登場 (BRUT インタビュー)

マクロンが戻ってきた

コロナ、テロ、警察暴力、デモ、、、ここしばらく国が波乱の渦中にあると実感する中、大統領は首相以下政府メンバーを前線に送りこみ対処を任せ自分は外遊。内政に関しては時折トリコロール旗をバックに「おことば」を発するのみの印象であった。

そのマクロンが戻ってきた。「やぁやぁ、待たせたね(Coucou !)」と居酒屋の暖簾を押して飲み会に普段着で参加するかのように、「若者たち」の間に腰を下ろし語り始めた。

選んだ「場」はインターネット・プレスの BRUT。18~35歳の「若もの」が視聴者と言われているメディアだ。インタビューを担当するのは3人。若手女性記者 Yagmour Cengiz、ラジオFrance Infoで長年お馴染みの歴史家 Thomas Snégaroff、そしてメインのインタビュアーである BRUT ジャーナリストの Rémy Buisine。先週、レピュブリック広場で警察が手荒に難民テントを撤去した際、取材中に警官に殴打され、その動画がネット上に拡散したことで話題となったジャーナリストだ。

当然、旬の話題、警察の暴力をテーマに対話が始まった。一週間前に起きた黒人プロデューサーに対する警官の暴行を糾弾する一方、過激化した一部市民による警官への攻撃事例を持ち出して「喧嘩両成敗」風に均衡を保とうとするマクロン。

また、ここ数日「警察がポカをしたら上層の責任者ごと改革しなくてはいけない」と大統領候補だったころにマクロンが熱弁している動画がソーシャルメディアで流れていたが、昨日は「警視総監もダルマナン内相も責任が問われることはない」と明言。

やっぱり。この番組でも、結局は大統領という立場を貫いた紋切り型の論弁(langue de bois)しか聞けないだろうと思い消そうとした矢先、大統領の語調が変わりタブレットに伸ばしかけた手を止めた。

きっかけは、「サミュエル・パティ(宗教テロにより18歳の青年に殺害された中学教師)の事件以来、‘イスラムを抑えようとフランスの大統領は権威主義に傾倒している’ と英米をも含め外国からは批判されているが ..」とのスネガロフ氏の質問だった。

それまではマクロンも「外野がなんと言おうが構わない(ça m’est égal !)」と強気であったが、静かにでも毅然と、フランスほど自由を守ろうとしている国はないのに国内外から見放され大統領としていかに孤独感に覆われたかを訴えた。大統領という殻の隙間からようやく人間味が垣間見えた気がした。

さらにスネガロフ氏が、前出の中学教師を引き合いに出しつつ高校の社会科教師時代の自身の苦い経験を語り「イスラム過激派に走り救えなかった生徒がいた。私はどこで誤ったのだろうか?大統領もご自分にこう問いかけたことはありますか?我が国は何を失敗したのだろうかと」と尋ねると、

「もちろん、自問しています」と、声を落とし身につまされている様子で語り始めた。

「我々の」失敗は国民の一部に 遺恨の念 (ressentiment) を抱かせてしまったこと。移民の統合政策 (intégration) を失敗し、フランス人として認められていないと感じる人々を作り出してしまったこと。その失敗が過激派イデオロギーを肥やし、今やそのイデオロギーが国家に代わり彼らに魔の手を差し伸べていること。。。

指標を見失った若者と非植民地化 (décolonisation) の関係については、アフリカ大陸をオリジンに持つ2世3世がフランスには数百万人もいるのに、彼らに居場所をきちんとつくってあげられなかったこと。それは誤りであったこと。迷子になっているわけではなく存在意義を探しているフランス生まれの2世3世は、親からも聞かされたことのない植民地時代の話を今になり持ち出している。「どこか」への帰属を求めて。。。

この時点で、マクロンのこのインタビューは救われたと感じた。インターネット・プレスという新しいメディアを選んだ意義もあった。計算や打算ではなく自分の心に正直に語る(parler avec ses tripes)、そんな久々のマクロンの姿があった。

マクロンが話題の対象とした「数百万人のフランスの2世3世たち」には(彼らがサイトを閉じずに聴いていたとしたら)どのように響いたであろうか。

BRUT マクロン大統領インタビュー 2時間半!

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